法的三段論法について

さて、前記事の転移原理(Transfer Principle)を認めた上で、法的三段論法について論じていた。 なぜ「法的三段論法」なのかというと、「法的判断を演繹的論証にしたいから」だという。 すなわち、

{ \displaystyle
要件 \to 効果(法規範) \\
\underline{認定された事実(要件)} \\
効果(権利や義務)}

という形を取るもののことなのだが、こうする目的は真理保存性のためにではない。 法的には、民訴・刑訴のどちらにおいてもそれぞれ「弁論主義による形式的真実主義」や「実体的真実主義」を取るので、真理保存性は怪しい。

ではなんのためかというと、ここで正に転移原理が関わってくるのだが、「それが『法的に正当である legally justified』という性質を保存するから」であるという。つまり、

{ \displaystyle
LJな法解釈・LJに定立された法規範 \\
\underline{LJな認定・LJに認定された要件事実} \\
LJな判決・LJな効果
}

こうすれば、演繹的推論の持つTPという性質のために、法的判断の結論の適切性を保証するためには法解釈と事実認定の「法的な適切性」を確保すればよくなる。これにより、法解釈学は帰謬法を用いて大前提である法解釈を云々することになる。

さて(私はここで勝手にデュエム-クワイン・テーゼ的な問題意識が応用されているのだと感じたのだが)、大前提を疑う積極的理由はなく、小前提、つまり事実認定を疑うことができるのではないか、そして実際の裁判(特に高裁において)ではそれが行われているという。

それはさておき、三段論法を法的判断のモデルとして用いるのは果して適切かということが問われる。 推論の単調性によって、前提を増やしても演繹的に妥当な推論においては結論が変わらない。するとどうなるか。

{ \displaystyle
人を殺した \to 刑に処す \\
xはyを殺した \\
\underline{xがyを殺したのは正当防衛だった(追加された前提)} \\
xを刑に処す(大前提と小前提から導かれる結論は変わらない)
}

これは、正当防衛の際に刑に処さないとする前提を追加しても解決せず、むしろ矛盾を引き起こしてしまうのである。

ではどうすればよいのか。こうしたあらゆる例外的ルールもすべて、要件に含めてしまわねばならない。 これでは厖大な規範の定立が必要になり、事実認定もそれに即して厖大なものにならざるを得なくなる。 すると迫られる二択は

  1. 演繹的に妥当な推論によるモデル化を諦めるか
  2. 法的に妥当な判断など人間にはおよそ不可能だと認めるか

になるという。しかし前者を選択すると、法的判断の結論の正当化が困難になってしまう。前提の法的正当性を転移できなくなってしまうからである(またもTP!)。

こうして自然/社会科学における、確実な正しさを得るための「演繹的に妥当な推論」によるモデル化の困難は、法学においても生ずるのだ(しかしそれは恐らく数学以外においてはどんな学的営為においても生ずるため、それ自体を恐れる必要もないかもしれない)というのが本日の初年次ゼミにおける法的推論についての講義の結論であった。